戦争の記憶を「聴き」、平和を考える

今日(8月15日)は終戦の日です。

第2次世界大戦後75年が経ち、多くの人が当たり前のように平和を享受できるようになっていて、今では大多数の日本人が戦後生まれです。(「多くの人」とここで私が言うのは、今この瞬間に、内戦などの戦時下にあったり、不当に迫害されて人権や基本的な生存権を持てずにいる人達が世界中にいるからです)。

生き証人が少なくなってしまうこと

他方、私にとって胸が張り裂けそうなくらい辛いのは、第2次大戦によってかけがえのないものを失い傷つけられながらも充分な償いを受けられなかった人達が、残念ながら次第に高齢になってしまい多くの方が亡くなってしまっていることです。

私は高校生の頃から戦後問題や従軍慰安婦問題に関心を持ってきて不当に扱われた彼女らに心から同情していましたが、それを不特定多数の人に向けて声を発する勇気はありませんでした。大学の図書館などで戦後問題や慰安婦問題について読んだり、また、その道では高名な大学教授と話しをする機会もありましたが、彼女たちのために声を上げることは出来なかったのです。

こうやって言葉にして多数の人に発信するのはこれが初めてです。

なぜ、今こうやって私の気持ちを言語化できるようになったか。それは、私の尊敬する友人である森本麻衣子さんの存在が大きいです。

尊敬する友人

私と麻衣子さんとは、共通の友人を介して14年くらい前に知り合いました。当時の彼女は米国の大学院で文化人類学を専攻し、日本とアメリカを行き来する生活をしていました。

彼女は広島で生まれ育ち、原爆ドームや原爆記念碑を見たことなど戦争の悲惨さを幼少時代に見聞した一次体験から、戦争や平和について考え始めました。大学卒業後ジャーナリストとして世界中の困窮する人に接する経験を経て、米国の名門カリフォルニア大学バークレー校の大学院で文化人類学を専攻し、慰安婦問題からみた戦争と人権について研究し、カリフォルニア大学のほか、東京都内の大学でも学生に教えてきました。

東大法学部を卒業し頭脳明晰な麻衣子さんは、安定して高い地位の得られる仕事に就くことも出来たと思います。でも、そうではなく、麻衣子さんは自分の目指す道を歩み続け、二人の子供を育てながら長い時間をかけて博士論文を書き続け、今年カリフォルニア大学バークレー校から博士課程を授与されました。

麻衣子さんの旦那さんは日本でも有数の忙しく要求度の高い職場で働いていて、彼女はほぼワンオペで2人の子供を育ててきました。米国の大学での博士号取得への学究を続けられたのは、驚嘆すべきことです。

彼女は私生活では子供の気持ちに寄り添いつつも子供の自立を促してきて、とても良いお母さんで、先輩ママとしても私は尊敬しています。子供を育てながらでも多くのことを成し遂げられるのだと、身をもって教えてくれました。

もはや存在しない当事者の声を「聴く」

麻衣子さんが博士論文で目指したのは、「過去の戦争や人権侵害をめぐって、残された記憶や痕跡のなかに誰かの叫びを - その人が自分と異なる国籍や生い立ちを持った人であっても - 聴きとることのできる力を、私(たち)はどうやって身に着けるか」ということでした。

過去にひどい経験をした場合、それを声にすることが出来なかったり時間がかかったりすることがあります。被害者及び周囲の人が声を上げるまでに時間がかかり、あるいは、誰にも言わずに生涯を閉じる場合もあります。

そんな時に、なぜ声を上げられなかったのか、「聞いてあげられる」状況を作ることはできなかったのか、その人は充分な償いを受けられたのか。こういったこと考え感じることを通じて、私たちは徐々に彼ら・彼女らの声を「聴く」ことができます。

従軍慰安婦となっていた女性たちが自分たちの経験を言葉にし始めたのは、戦後何十年も経ってからでした。そのために、日本政府を含めた国際的な認識や補償が遅れた訳ですが。

彼女たちの存在は、彼女たちの属する村や共同体のなかでは「恥」とか「汚れ」とされていていました。そんな彼女たちの声や経験が次第に表面化し、やがてはグローバル社会における「人権侵害問題」になりました。

麻衣子さんが博士論文に着手した時、その経験を実際にした女性の多くは既に亡くなっていました。そこで、麻衣子さんは、悩みながら研究に取り組む中で、彼女たちの声をどのように「聴き」、記憶に声明を吹き込むことができるか、ということを考えてきました。彼女の博士論文は、1990年代半ばから10年以上にわたり日本が法廷で争われた中国人戦争被害者による補償裁判を検証し、当事者の人生を追体験するという試みでした。(詳しくは、金敬黙 編「越境する平和学」第6章)

これからの平和教育

これまでの日本の平和教育は、戦争を実際に経験した「語り部」の声を直接聞くということが主眼だったと思います。

しかし、戦争の記憶が遠のき、語り部たちが亡くなってゆくなか、私たちが失われつつある記憶から何を「聴ける」のか、「聴く」ためにどのように私たち自身のキャパシティーを広げるか、ということが大切になってくると麻衣子さんは考えています。

そういう意味で、彼女の提案する「聴く」という試みはこれから非常に重要になってきます。

過去をふまえて、真に平和な世界を創るには

麻衣子さんが共著者として出版した「越境する平和学」(金敬黙 編、法律文化社)で、下記のように書いています。

「私(あなた)が生まれる前に起きた出来事に対して、私(あなた)には1ミリの罪も責任もありません。しかし、私が今生きている世界が過去の戦争やさまざまな人権侵害にどう落とし前をつけるのかは、私たちがどういう世界に生きていたいか、というヴィジョンと直結します。」

「戦争中に兵士たちによって物資レベルの存在まで貶められた女性たち(中略)の超えに、どう応答するのか?それはこの世界を、私(あなた)自身や私(あなた)の大事な人たちが尊厳をもって扱われる場所にできるかどうか、言い換えれば、真に平和な世界を創れるかどうか、ということと同義です。」

さて、これを読まれたあなたは何を感じましたか。