究極の自己肯定の言葉とは?

最近私が自分自身や子供に使い始めて、効果てきめんだった言葉があります。

それは、

「それでいいよ」

という一言です。

「それでいいよ」というのは究極の自己肯定の言葉でもあります。

私たちは、「こうでなければいけない」とか「こうあるはずだ」という理想の姿を自分に課したり、子供など親しい人にそういった理想や期待を抱きがちです。その結果、思い通りに行かないと、自分を責めたり自分を否定し、ストレスになってしまいます。

そんな時に、「それでいいよ」という言葉を口癖のようにして自分に言ってみると、自分の存在が肯定された気持ちになり、余計なストレスもなくなります。子供など親しい人・家族に「それでいいよ」ということで、彼らの存在を絶対的に肯定することもできます。

〇 「それでいいよ」ということの効果 ー 自分自身や子供に対して言ってみる

例えば、私は、 日常生活での小さな(時には大きな)失敗が毎日のようにあります。例えば、仕事が思うようにはかどらないこと、子供の習い事の日時が変更になったのをすっかり忘れていてすっぽかしてしまったこと、私が習っているオンラインダンスの最中に飽きてしまって途中で退室してしまったこと、などです。

そんな時に私は自分を責めがちですが、「それでいいよ」と自分に言うと、とても気が楽になります。

また、子育てにおいても、子供を無条件で絶対的に認める「魔法の言葉」になると思います。

最近、小学校2年生になる長男が通っている学校で、オンラインのコンペティション大会が2つありました。ヨルダンではまだ学校が閉鎖されていて、全ての授業や課外活動がオンラインで行われています。

そのコンペティション大会は、ひとつは自分でお菓子を焼いてその独創性やアイディアを競うというもの、もう一つは自然をモチーフにした作品を出品するというものでした。 長男はクッキーを焼いてお菓子のコンペティションに出品しました。が、もう一つのコンペには出品できませんでした。

後日、そのコンペ大会の「勝者」が誰だったかという話題になったとき、息子は両方のコンペに出品できなかった自分にがっかりしていたようでした。(ちなみに、小学校低学年くらいの時期の子供は他者と自分とを比較して劣等感を持ったり、完璧主義に陥りがちだというのは、児童心理学の定説でもありあます。)

それで私は、「それでいいよ。1つの大会に出品出来ただけでも、すごいことだよ。君が作った『火山の爆発のクッキー』、ママはとても良いアイディアだと思ったし、あのクッキー美味しかったよ。」と言ってやりました。

息子は何も言いませんでしたが、モヤモヤしていた気持ちが瞬時に晴れてきたようでした。私が息子にかけた言葉で、ここまで一瞬のうちに息子の心に絶大な安心感を与えられた言葉は他には無かったのではないか、と思うほどでした。

〇 自己肯定は現状追認ではないということ

ところで、「それでいいよ」という言葉は、単に現状を追認して成り行き任せに生きるということなのでしょうか。

私は、違うと思います。 

なぜかと言いますと、私たちは自己を肯定され心理的安全を確保して初めて、自分のコンフォートゾーンを抜け出して自分のフロンティアを広げたり挑戦したり目標に向かうことができるからです。(特に、幼い子供や低学年期の子供はそれが顕著だとされています)

ですので、仮に思い通りにならないことがあっても、自分が肯定されていれば、不必要なまでのストレスにさらされることなく、「ではこれからどうやって改善して行こう」と建設的に考えられると思います。

もちろん自己を否定したままで劣等感をバネに努力して成功するケースも世の中にはありますが、それをし続けると、長期的にはどこかで無理が生じるかと思います。 

いかがでしたか。もし何かがっかりすることがあっても、

「それでいいよ」

という究極の自己肯定の言葉を使って、自分や親しい人・家族の心を楽にしてみませんか。