なかなか出来ない経験!先進国でない国で暮らすこと

先日ふと思いついて、感謝日記を久しぶりに書いてみました。 

感謝日記とは何かと言いますと、1日3個ずつ自分が感謝することを書き出し(健康でいられることとか、家族がいること、仕事があること、寒さをしのげる家があること、など何でも)、それを一か月程度続けることで、自分が実はたくさんのものを持っていること気づかされ、 幸福度が高まってくるというものです。

私は何年か前にかなり真面目に感謝日記をつけていましたが、今は全くしていません。ところが、先日、何かのきかっかけで久しぶりに書いてみようと思ったのです。

その日に書いたことの1つが、ヨルダンという、中東にある途上国(非先進国)で暮らしていることでした。

2年ほど前にヨルダンに一家で引っ越してくる前は、私はアメリカと日本に住んだのみでした。仕事でアフリカの貧しい国などに出張で訪れることがありましたが、やはり出張や旅行で滞在するのと住むというのは雲泥の差です。

では、こういった途上国で暮らすというのは、どんな気づきがあるのでしょうか。

1つには、先進国にいたときには当たり前だと思ったものは当たり前ではなく、自分がいかに恵まれていたかとに気づかされることでした。

日本などでは社会的インフラが十分に整備されていて、人々の教育水準が高く礼儀正しく、素晴らしいサービスを安価で当然のように受けられます。

しかし、途上国では、それは当然のことではありません。そこで、便利でない中でも知恵を絞って暮らさなければならないのです。

それでも、私のようなエクスパット(外国人や駐在員)は家政婦さんや日常のことを手伝ってくれる人を雇ったり便利なテクノロジーを使うだけの余裕があり、仕事上の生産性も保てますが、中流のヨルダン人家庭ではそれは叶いません。

2つ目は、多様な価値観や文化に触れられ、今までの自分とは全く異なる目線でモノを見たり考えたりすることができるようになる、ということです。

例えば、こちらの人たちはコミュニティーや人との結びつきを重視していて、家族や古い友人とのつながりが非常に強いです。仮に誰かが困っていても、皆で助け合う風土があります。日本も昔はそうだったに違いありませんが、今は核家族や一人暮らしの人が多くなり、そういった風土も少なくなってきています。

特に用事がなくても電話をしあったり互いの家を行き来するというのは、私にはない文化でしたが、それはそれで良いものです。

また、ヨルダンなどこの辺の地域は何千年もの歴史を持つ国なので、食文化をはじめ、とても興味深いものが多いです。こちらには、古代から伝わる、ハーブやナッツを多用した料理が豊富にあります。

例えば、私は今朝朝食に「マクドゥース」と呼ばれる、小茄子のオリーブオイル漬け を食べました。小さな茄子に、刻んだクルミやパプリカなどをはさみ、オリーブオイルに漬けるものですが、まろやかで深い味わいで、とてもおいしいです。

こういう、当地ならではの美味しい食べ物に巡り合うと、「ああ、ここにいて良かったなあ」としみじみ思い、途上国で生活すると必然的に直面するチャレンジやも「これも自己成長だ」とポジティブに捉えることができます。

私はヨルダンにはあと 2,3年いる予定です。それまで、せっかくなのでこちらの生活を楽しもうと思います。