My Life Story - Part 2 (Japanese Version)

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My Life Story - Part 1はこちらです。)

2014年の寒い冬の日に息子はワシントンDCの病院で産まれた。産まれた瞬間に聞こえるはずだった産声がなく、息子は出産時に生じた何らかの原因によりアプガースコア1(アプガースコアとは、新生児の状態を1から10で判断する指標で、10なら最も健康な状態、1は心臓がかろうじて動いている程度で、呼吸等その他の生体反応無しというもの。)というほぼ死産に近い状態で産まれ、産室に控えていた新生児専門の小児科医が必死で蘇生した結果、何とか呼吸をし始め文字通り息を吹き返した。私は息子と対面することのないまま、息子は治療のため生後2時間余りで救急車で近隣のNICUが完備する病院に搬送された。NICUでの24時間体制の看護で息子は健康を取り戻し、3週間ほどでNICUを退院し、やっと自宅にやってきた。

息子は健常に見えたが、同じように危機的な状況で産まれた子供はその後(程度の差はあれ)発達障害・学習障害を伴うこともあると医者から言われ、私は息子の発達に非常に心配するようになった。

私は陣痛が始まる直前まで仕事に明け暮れていて(アメリカには、産前休に相当するものがない)、子育てに関する知識などは皆無なままで母親になった。産む前は「私は仕事をして、ナニーや保育士さんに育ててもらおう。」と考えていたこともあった。ところが、今や私が子供の将来を左右する決定的に重要な存在であるとようやく認識したのだ。準備もなく最高責任者(CEO)になったようなものだ。実家のサポートなどは無く夫も育児休暇を取得できなかったため、私は一人で乳児の世話をし、私の子育ては試行錯誤で始まった。

私の住んでいた地域では、息子のようにNICUで生後の時期を過ごした場合、実際の発達の遅れが見られなくても、療育サービスへの保険が適用したり自治体のサービスが受けられるようになり、息子は生後2か月あまりでEarly Intervention(日本でいう療育)を始め、子供の発達を促すための様々な働きかけを行ってゆくことになる。それを通じて、療育の専門家、児童発達の専門家、児童心理士といったプロフェッショナルと協同することができた。

子育てで直面した困難

なぜ息子が危篤な状態で産まれたのかは医者も判らないままで、私は、自分に非があったのではないかと幾度も考え自分を責めた。それでも、過去は変えられなく、未来は変えられる。息子の将来がどのようなものであれ、親として私のすべきことは、息子が健やかに成長できるよう最大限助けることではないかと思った。しかし、一体どうしたらよいのか。育児の初心者として、私は数々の難題に直面することになる。

1.初めての子育て

最初の子供が生まれたばかりの頃は私の育児は試行錯誤の連続であり、知識及び経験の無さを常に痛感するに至った。新生児の頃の長男はいわゆる「非常にむずかしい赤ん坊」で、私が抱きかかえてあやしていなければ泣き続け、眠りも浅く1時間毎に泣き出す状態だった。そんななかで、自分の知識不足を痛感しつつも、乳児や子育てについて体系的に学ぶ時間は全くないままだった。

頼れる家族や育児経験のある友人なども側におらず、インターネットやソーシャルメディアで得られる情報が頼りだった。インターネットでは育児に関する情報(例えば、「泣き出す子供を静かにさせる8つの方法」、「子供の頭脳を発達させる5つの秘策」などといったもの)が溢れていて、私はその情報量に圧倒され、また、一つの問題に対して様々な人が異なったことを提唱していて、私は困惑するばかりだった。

私はそういった情報を逐一判断するだけの素養がなく、オンラインの記事を読んでは不安が増す一方だった。また、そういったインターネット上の情報は私の息子には全く効かない場合が多く(例えば、夜泣きする子供にミルクを与えると癖になるから少量のハーブティーを与えるべきだという小児科医の言葉など)、あるいは、対処療法的なものに役立つことはあったが、根本的な解決策を与えてくれる記事は必ずしも多くなかった。私は一つの方法を試し、それが効かない場合はもう一つの方法を、という具合に育児をしていた。

2.親としての自信を持てないこと

そういった状況で私は親として自信を持てない日々が続いていた。出産後しばらくして仕事も退職していたが、親としての役割や意義を見いだせないままでいた。育児の最もつらいことは、外部から全く評価されないことである。いくら全力で子育てしても誰も認めてくれない。仕事を通じて築いたいくばくかの自尊心は崩れ落ち、私はNobodyになった思いだった。

自分に対する自信がない中で、息子の成長が私の自信に直結していった。息子が一歳に満たないころ、私は息子の発達とマイルストーン(小児科医が決定する、何か月で単語を発する、何か月でハイハイする、という指針)を比べ、あるいは月齢の似通った他の子供と息子を比べては、喜んだり落胆したりしていた。もし息子がマイルストーンに未達だった場合、自分を責めてプレッシャーをかけたりもした。

3.不安や恐れとの闘い

私はもともと心配性であったが、母親になってからさらに様々なことに不安を感じ心配をするようになった。新生児の息子が新生児乳幼児突然死症候群(SIDS)になったらどうしよう、私がこの瞬間に心臓発作で死んでしまって息子を世話する人がいなくなったらどうしよう、息子はちゃんと成長するだろうか、息子は大学に行けるだろうか等、枚挙にいとまがないくらいだった。今にしてみれば馬鹿げているが、一人で育児していると様々な不安にかられた。

また、息子が生きるであろう将来の社会についても心配がでいっぱいだった。仕事をしていた頃は最新の国際情勢を常に仕入れていたが、退職後は私の情報源はネットニュースやソーシャルメディアが主なものとなり、それらは絶え間なくセンセーショナルなニュースを発信し続ける。環境問題の悪化、貧富の差の拡大、ポピュリスト政治の台頭など、世の中は悪くなる一方ではないかと思い始めた。

いかにして突破口を見出したか。

そういった困難の中で私は必死にもがきつつも解決方法を模索していた。明けない夜は無いもので、事態は次第に好転してゆき、私なりの突破口を見出すこともできた。

1.子供や育児について深く学ぶこと

私は、児童心理・効果的な育児方法・子供との関わり方を、児童発達の専門家、アメリカの幼稚園(プリスクール)で教師補助として働いた経験、少数の良質な本を読むことから深く学んだ。理論を学び、その原理や基礎を理解し、得た知識を自分のものにし、実践していった。児童心理や育児論の表層的なことではなく、その原則をきちんと学び理解することによって、仮に未知の状況に直面しても自分なりに解決方法を見出すことができた。同時に、自分の子供を最もよく知るのは親である私であるので、自分の子供を観察する事にも努めた。子供が乳児院にいる間などの時間を利用して育児書や児童心理学の本を読むというのは「母親として子供と向き合っていないのではないか」と後ろめたさもあったが、今思えば良い投資だったと思う。

子供の発達や育児を学んだことにより、二人目の子供が誕生した後の私の育児はずっと楽だった。私の娘は私の息子の3年後に生まれ、ほどなく兄弟間のいさかい(下の子の誕生直後の上の子の「赤ちゃん返り」、おもちゃの取り合い、親の愛情の取り合いなど)に対処し、両方の子供に等しく愛情をもって接することが、親としての私の最重要課題となった。私は、出生順が子供の人格形成と発達にどのように影響し、両親はどう対処するべきかを論じた非常に良質な本に出合うことができた。これにより、私の「2児の母」としての経験は比較的スムーズに行った。その本を読んでいなければ、私は子供たちが喧嘩をする度にどうしたらよいか判らず相変わらず、インターネットで対処療法を常に検索していたと思う。

2.ミッションステートメント

ミッションステートメントというのは、自分にとって何が重要かどんな価値観で生きたいのかを明確にした上で、自分の人生をどういうものにしたいかを言葉にもので、生きる上での指針になりうるものである。私は、第二子が3か月くらいだった頃に、自分のミッションステートメントを作成した(過去ブログ記事参照)。

ミッション:私は、私たち(自分と家族)のポテンシャルを引き出すために努める。

母親として、子供の健全な成長を促し、遊びを通じて想像力や創り出す力をつけさせ、好奇心を育て、そして無条件の愛情を注ぎサポートする。

配偶者として、夫を公私ともに支え、信頼する。

個人として、自分を大切にし、夢の実現に努める。

エコノミストとして、社会に貢献しうるよう知識とスキルの向上に努める。

 ミッションステートメントを作成することにより、私は母親としてだけではなく個人としての自分を尊重できるようになった。ミッションステートメントがあると何が私にとって重要か教えてくれるので、私はそれに沿って物事の優先順位を決められるようになった。最も重要なことは、借り物ではなく自分の育児をしているという感覚を持つようになったことだ。以前なら、インターネットからの情報や知人からの見聞に左右され子供の発達状態に一喜一憂していたのだが、ミッションステートメントを作成してからは自分のやっていることに自信を持つことができた。インターネット上の育児情報は時々は必要であるが、今では情報を自分で取捨選択し、自分の目指すものや価値観とは異なる情報であれば無視することもできる。

3.良い情報を取り入れること

情報は人生のあらゆる局面で武器になるものであり、多くの良い情報を選択することにより、私の育児はより効果的なものになり、子供が生きる将来を(ある程度)予見でき、不安ではなく事実とデータに基づいて世界を見ることができるようになった。ファクトフルネスに関する過去のブログ記事で書いたように、事実とデータに基づいて世界を見始めると、良い意味で現実を知ることができ、私は心が穏やかになり、不安にかられることもなくなった。

例えば、「世界は悪くなる一方だ」と漠然と不安になっても、世界の貧困や途上国の医療衛生や教育は一世代前に比べて大きく改善され、環境問題といった世界規模な問題へも科学の進歩により大きく改善しうるという事実を知ることにより、不安を消し去ることもできる。また、例えば、乳幼児の死亡数が以前よりはるかに少ないことが分かり、親の適切な行為(乳幼児を安全な場所で寝させるなど)がSIDSリスクを大幅に減少させることが科学的に証明されている。そのような知識は、私が心穏やかに人生を送り育児をするのに役立った。

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私の人生はどう変わったか

そういったことをするうちに、私は子育ての楽しさや奥深さも同時に見出していった。私は子育てが楽しいと思えるようになったし、自分の育児や道に遭遇した時に自信を持って対処できるようになった。息子が産まれたばかりの頃は常に不安で自信がなくプレッシャーに苦しんでいた。今では、私は人生の意義を見出し、母親業こそが自分の天職ではないかとすら考え、なおかつ、自分自身の夢の実現に向かってもいる。もちろん今でも私は子供や育児について悩んだり時に失敗もする。それでも、私は困難にあっても夫と子供と共に問題を解決できるという確信がある。

人生で最も嬉しかった言葉

息子は生後数か月の頃から、ワシントンDCの米国屈指の小児病院で児童心理学者や発達の専門家のグループから定期的に診断を受け、私はその度に彼らから児童心理や育児、子供の発達について色々なことを学んでいた。息子が2歳半の頃、発達状態が極めて健全で全く異常が見られないとうことで、無事卒業し定期診断を終えた。診断の際、そのグループのリーダーであった児童心理学者から「幼児教育のバックグラウンド無しにここまで育てられたのは驚嘆に値し、あなたは母親としての才能があるのでしょう。」と言われた。その瞬間、息子が産まれてから挫折感や孤独のなかで模索し育児をしてきた日々を思い出し、目頭が熱くなった。どんな輝かしいキャリアや社会的な成功よりも、母親としての努力が認められるのが何よりも嬉しかった。

もっとも、私には母親としての才能があった訳ではなく、ただ正しい情報を信頼できる情報源(少数の良質な本や文献、発達の専門家など)から入手し、それを実行しただけだった。もし私に親としての才能があれば、さほど努力せずとも最初から私の子育てはスムーズに行っていたに違いない。この点でその心理学者は思い違いをしていたのであるが。一世代前なら、子育ての知恵や知識は親の代から受け継がれてきたり、お茶の間コメンテーターの意見や近所の「子沢山の物知りおばさん」などから仕入れたものが中心であっただろう。しかし、今は、正しい情報を選択し実行し、正しくない情報や誤った固定観念を捨て去ることにより、自らがこうでありたいと思う母親・父親になることが可能なはずだ。

同時に、世の中の大多数の親(特に母親)はどんなに心を込めて子育てしても外部から評価されることのない状況であることは、残念でならない。私には、母親としての努力を認めてくれた人がいたのが幸運であると考えざるをえなった。息子が正常に産まれていれば、私はその心理学者と知り合うことも無く、もちろん誉め言葉をもらえることも無く、「一生懸命子供のために尽力しても評価されない」数多くの母親の一人であっただろう。

いつかきっと

私の子育ては始まったばかりで、子育ては長丁場であり、これからどうなるか全くわからない。それでも、いつか自分の子供達から「良いお母さんだった」と思ってほしい。

ブログを始めたこと

2018年に慣れ親しんだワシントンDCを離れヨルダンに来た後、2019年に私はブログを書き始めた。私の経験や培ってきた知識を発信し、世界中の人と繋がるのがとても楽しみだ。同時に、私の経験が子育て世代の方に役に立つことを願っている。